人の命や暮らしを脅かす自然災害が起きた後、その記憶は確実に薄らいでいく。時間がたてばなおさらで、100年前に首都圏を襲った関東大震災も同様だ。過去に学び、次の世代につなげるのに必要な手立てとは。(矢島大輔)
「ドスン」
ものすごい地響きがしてから5分後。土煙が空を覆い、不気味な山鳴りが響き渡った。
「山が来た!」
崩落した大量の土砂が「山津波」となって、神奈川県沿岸部の片浦村(現小田原市)根府川地区を襲った。
辛うじて北側の台地にのがれた数十名を除き、多数の人は家もろとも土中に埋没してしまいました。その惨状は涙なくしては語れないのであります。
地区で家族と暮らしていた内田一正さんが晩年、自伝「人生八十年の歩み」に書き残した一節だ。関東大震災が起きた1923年当時、10歳だった内田さんはその日の様子を再現した。
内閣府によると、集落を流れる川の上流にある大洞山が崩落し、逃げ遅れた住民289人が命を落とした。また、集落北東側の斜面で発生した地すべりは、熱海線(現JR東海道線)の根府川駅をのみ込み、停車中だった列車が乗客ごと海に沈んでさらに131人が亡くなった。直後には津波も押し寄せた。
その後、地元で語り継ぐ人はおらず、忘れ去られた。
60歳を過ぎてから一念発起
地元でミカン農家として暮ら…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル